推しの三原則

アイドルとSF。自分は知らなかったが、巻末の解説によると意外と歴史は深いらしい。僕が読んだことのあるアイドル系SFは、草野原々の『最後にして最初のアイドル』くらいだろう。とはいえ、『最後にして最初のアイドル』がアイドルものとしての体裁をなしていたのはほんの最初だけであり、そこからは時空や空間を超えるだけでなく、なにかいってるところまでいっちゃってるなぁという小説であった。というか後半はもはやアイドルが、女の子ではない何かになっているようなぶっ飛んだ小説なのだ。

それに比べて『推しの三原則』は、現実のアイドル現場をSFというメガネを掛けて見るような感覚の小説だ。それもアイドルというよりは、アイドルオタク目線でのお話だ。この小説は、AIオタクを通して人間のアイドルオタクが作り出す、カオスで汚い現場を酷なまでに描いている。

ソロアイドル・大月みくりは自分のファンたちのあまりの粗暴ぶりに心を痛め、悩んでいた。天才的なロボット工学の知識を持つ彼女は、礼儀正しく清潔感のある「AIヲタク」を開発する。
やがて、どのアイドルの現場も「AIヲタク」で埋めつくされるようになってゆく……。

推しの三原則 第3回ゲンロンSF新人賞大森望賞受賞作 ゲンロンSF文庫 (株式会社ゲンロン) | 進藤 尚典, 大森 望 | Kindle本 | Kindleストア | Amazon

まず、第一部で語られるアイドル現場は現実に存在するような現場である。小説にもあるようにアイドルを見ることなく、ステージから遠く離れたところでぐるぐる走り回り何かを叫ぶ。これはYoutubeで少し調べるだけで見つかるだろう。特典会であっちむいてホイをしたり、説教をする。どこかで見た光景だぁ……。僕はあまり厄介が多い現場を好まなかったが、対バンなどでそういったオタクが多いグループと一緒になると会場の空気は違う。しかし、遠くから見てる分には彼らの行動というのは非常に面白く、そして興味深く見ていた気がする。しかしオタクは、なぜ叫ぶのだろうか。その疑問こそ小説のテーマだろう。この小説はアイドルオタクが自らをそして自らがおいている環境を冷静に考えるため本にもなり得るが、それよりも少し興味はあるけどなぜオタクが叫ぶのか理解できないタイプの方にもおすすめしたい。

「そして、なぜ俺がアイドル現場を好きか教えてやろう。アイドル現場はカオスでイレギュラーなものに満ちているからさ。お金儲けが好きな小ズルい運営の命令を、純粋なアイドルたちが受けてなんとか形にしようとしている。そこに私利私欲と愛情をギトギトにした臭えヲタクたちが退去して押しかける。こんなに目的が異なる奴らが狭い場所に押し込まれる究極のカオスがアイドル現場だ。みんな、場を成立させようと足掻くが、これだけカオスな場はどっかで崩壊する。アイドル現場は常に満杯のコップだ。1秒先がわからないこのゾクゾク感。それを知っちまったらもう他の趣味はぬるくてぬるくてぬるくてがまんできねえのさ」

この小説は去年のゲンロンSF大賞の大森望賞受賞作らしい。つまりコロナ以前に書かれた小説だ。今このコロナ渦でこの小説を読むと何か他の感情がわく。あんなに騒がしかったオタクたちが静かに手拍子を打つくらいしかできないのだ。自分はこの小説を読んで、この先いつしか”ヲタク”が声を上げる日を少し待ち望んでいることに気づいた。そんな日は来るのだろうか……。


もはやこの光景すら懐かしいと言える